ならみおダイアリー

地元山梨県都留市にUターンし地域おこし協力隊就任⇄東京品川に住む旦那氏と不定期カフェイベント。「自分の心に正直に、いまも未来も幸せな毎日を歩む」をモットーに、心地よい場所を求めて。

私が「会社」を辞めたわけ

去年まで人材教育コンサルティング会社にいました

2011年4月~2016年1月まで、

私は新卒で入社した人材教育コンサルティング会社アチーブメント

1年目:人事(労務・内定者教育担当)

2年目:個人営業

3〜4年目:法人営業(おもに新卒採用コンサルティングのプランナー)

5年目:人事(新卒採用担当)

をしていました。

 

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新卒採用のコンサルティング案件やりながら、自社のインターンシップの運営に入ったり。死ぬほど忙しかったけど、いっぱい泣いて笑って成長した、まさに青春の日々。

 

会社員時代。たっくさんの思い出があって、会社のこと、仲間のこと、大好きで

すごくいい時間を過ごさせてもらったなと今でも思っています。

 

 

 

 

とにかくお客様が大好きで、仲間が大好きで、無我夢中で走り抜けた5年弱でした。

それなのになぜ、私はその道から外れることを選んだのか。

そこにはある小さなきっかけがありました。

 

いまも未来も「幸せ」な毎日を

とにかく毎日忙しくて。充実していた、といったほうがいいのかもしれませんが。

朝から晩まで働いて、家には本当に、寝に帰るだけ、のような生活。

その一方で、自分の「未来」を何度も描くけれども

字面ばかりは立派になっても、実感が全然わかない。

27歳。「アラサー」と呼ばれる頃になってきて、自分の将来とか人生とか

本当にこのままでいいのかなっていうことをよく考えるようになったんです。

 

 

決して不幸ではありませんでした。

でも、ただただ毎日「いつか」やってくるであろう未来の「ビジョン」実現のために

「いま」を犠牲にして、我慢して働き続けるのが私には合わなかったのだと思います。

そんな私にとどめを刺したのが、この映像でした。

 


ムヒカ大統領インタビュー

 

そしてこんなお話もあります。

ネット上では3年以上前から有名なこの話、今更感あるかもですが引用。

「メキシコの漁師とMBA旅行者」というお話らしいです。

 

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」


すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。


「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

 

もしも自分に残された生命が、半年だったとしたら。

自分は残されたこの生命を、一体何に使うだろう。

そんなこともかなり真面目に考えました。

あした死ぬかもよ?

あした死ぬかもよ?

 

 

少し前までの私は「変わらず会社に行く」と言っていたけれど

ムヒカ大統領の話の映像を見てから、そんな風に思えなくなっていました。

わたしはそんなに強くない。もう、「我慢」の限界だったのだと思います。

 

会社をずっと好きでいるために、この道を選んだ

多分惰性でそのまま会社にい続けることもできたかもしれないです。

でも私にはそれができませんでした。

自分の気持ちに嘘をつくことが嫌だったから。

本当はわがままで、自分勝手で、自分を余すことなく輝かせたいと思っていたから。

そんな自分が無理して会社にい続けても、不満を溜め込んでしまって

変な評判を外に起こしてしまうかもしれない。

そうなる前に、自分がいまでも会社のことを好きだと心から言っていられるうちに

離れよう、そう思いました。それが全てです。

 

退職の意向を人事(直属の上司でもありました。汗)に伝え、

取締役、社長とも一対一で面談していただき。

なんとか私が幸せに働き続けられないものかと、

交渉の機会を持ってくれましたが

私はそれに応えることができませんでした。

 

社長がみっちりのスケジュールの中、どうにかして

15分の個人面会の時間をとってくださったとき。

私は正直な気持ちを打ち明けました。

「もう疲れてしまいました、休みたいです」と。

すると社長は「そうか」と一息ついたあと、

わたしの手をそっと握ってお祈りをしてくれました。

「彼女は5年間、会社のために、仲間のために、お客様のために誠心誠意尽くして素晴らしい働きをしてくれました。これから進む道は別になりますが、これからもずっと彼女に愛と幸せが降り注ぎますように」

ー涙が止まりませんでした。

 

わたしはどうしてこんなにも、自分のことを思ってくれる人、

大切にしてくれる人の気持ちを無下にしてまで

「大好き」なはずのこの場所を、離れてしまおうとするのだろう。

すごく自分を、責めました。

面談の場所、応接室で嗚咽するほど泣きじゃくったのは

後にも先にもわたしぐらいだと思います。そのぐらい、泣きました。

 

すると社長はそんなわたしを、

何も言わずに優しく抱きしめてくれたんです。

あのときのことを、わたしは一生忘れないと思います。

驚きと同時に、なんとも言えない安心感というか

文字通り、胸の奥底に錨が下されたような感覚がありました。

「ああ、わたしには幸せになる”責任”があるんだ」

そう湧いてきて、すぐに外に出て辞表を書いて、提出し

その日のうちに荷物を全部まとめて、即日退職しました。

(退職は計画的に。良い子はマネしないでください。笑)

 

翌日。ラインやらメッセージやらの嵐。

大人気ない辞め方をしたこと、すごく申し訳ないなと思いながらも

わたし1人いなくなったところで、

あの会社にはなんのダメージもない。大丈夫だ。

そう、皮肉ではなく、心から信頼してそう思えた自分がいました。

 

 

 

いつかまた、会いましょう

 退職後、仲間や同期たちがわたしの壮行会を開いてくれました。

 

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同期として一緒に頑張っていた仲間はもちろんのこと、

内定辞退や中途退職などでご無沙汰していた仲間まで

久しぶりに集まってくれて、胸がいっぱいでした。

 

どうしたって見捨てない。仲間でいてくれる。

そんなやさしくてかっこいい

最高の同志達にであえたこと、

時間を共にできたことはわたしの誇りです。

 

今は離れていて、1年経ちましたが

またどこかで、一緒に仕事ができたり、

都留に遊びに来てくれたらいいなって思ってます。

みんな、ありがとう。

 

おわりに

1年以上の時を経て、やっと公開することができました。

自分のなかでずっと言語化しきれずに、もやもやしていたこと。

わたしの社会人生活のスタートを支えてくれたのは、

他の何でもない5年間のアチーブメント人生です。

いまでも社長の教えや、仕事のなかで学んだことが生きています。

出逢えたことに、心からの感謝を込めて。

そして今この瞬間も、情熱と達成の文化に命を注ぐ企業戦士達に

尊敬と感謝の念をこめて。

あらためて、自分の人生を責任持って生ききっていこうと、

襟を正す機会になりました。

 

最後まで読んでいただいた方。ありがとうございました。