ならみおダイアリー

地元山梨県都留市にUターンし地域おこし協力隊就任⇄東京品川に住む旦那氏と不定期カフェイベント。「自分の心に正直に、いまも未来も幸せな毎日を歩む」をモットーに、心地よい場所を求めて。

音楽とわたし。

 

ひとには必ず

「あの時ああしていたら、今は全然違う道を生きていたんだろうな」と思うような

人生の分岐点みたいな瞬間の思い出が少なからずあるような気がしています。

 

「音楽」との付き合い方が、

わたしにとってはその分岐点のひとつで。

きょうはその話を書こうと思います。

 

https://www.instagram.com/p/BM8rugJFEqc/

 

中学校時代

 

中学校1年生。
テニス部に入る気満々で春休みから握力を鍛えていたわたしは
親友に連れられなぜか吹奏楽部の見学に行くことに。


小学生のときに、集落のお神楽で竹笛を吹いていたことから、
その要領で
フルートを一発で音出しすることができ、
気がつけばフルート担当として吹奏楽部に入部していました。

 

中学の吹奏楽部では、一般的な「コンクール」や「演奏会」に向けて練習するほか
楽器を演奏しながら隊列を組んで行進・パフォーマンスをする
「マーチング」というものもやっていました。

中学2・3年生の時には、背がでかいという理由(?笑)から、
指揮者である「ドラムメジャー」という役割に任命していただきます。

 

このとき。
特に2年生のときが顕著でしたが、
先輩をさしおいて花形の役を仰せつかることに対して
ものすごいプレッシャーを背負っており。


「全国一を目指すなら、全国一練習しよう」と、
朝晩毎日バトンを振り続けていました。


毎週の整骨院通いとテーピング、腕はアザだらけ。
投げたバトンを顔で受け止めて負傷したこともありました(笑)

 

素晴らしい指導者・仲間・先輩の築いてくれた基礎に恵まれたおかげで
全国大会に初出場・そしてまさかの金賞受賞。

 

翌年も、2年連続で全国金賞を受賞することができ、
幕張・神戸でそれぞれ演技をさせてもらいました。

 

ディズニーランドでパレードしたりとか、
地域のお祭りや式典に呼んでもらったりとか
地方局だったけどテレビに出たりとか(笑)
すごく充実した日々を過ごさせてもらいました。

 

中学校を卒業するときに、将来は吹奏楽の指導者になりたいと思い
音楽高校もしくはマーチングの強豪校への進学を希望しましたが
「こんなに早くから人生の選択肢を狭めることはない」という母の一言で
結果、県内の普通科進学校へ進みました。

 

高校時代

 

わたしの通っていた中学校からその高校へ進んだのは数名。

 

高校の吹奏楽部は、
当時そこまで強い(という表現が適切かどうかはわからないのですが)わけでもなく
高校から始めて楽器に触れるという人や、なんとなく入ってきた人も多く
各々の演奏レベルと熱量の差にかなり戸惑い、悩みました。

「過去の栄光にすがっている」「重原さんと私たちは違うんだから」と
陰に日向に言われたりして辛かったな~。


特進クラスで「文武両道」しながら自分としてはベストを尽くしていたものの
当時の自分には、全くの初心者集団が全国一を目指す、というところまで
メンバーを巻き込み鼓舞する実力・余力はありませんでした。

 

中学時代にライバル…文字通り戦友として仲良くなった
吹奏楽王国・埼玉県の学生指揮者の子は
全国一の高校に進み、そこでも大活躍して音大に進み、
いまもプロへの道をひた走っています。

 

その様子を見ながら、
どうして自分は…と悔しさをにじませていた時期もありました。

 

結果は思うように出せなかったけれど、
苦しい中でもいつもそばで一緒にやってきた親友や
教師として、人として尊敬する恩師との出会い、
そして絶妙な距離感で悩みを聞いてくれて、対等に話してくれる、
元気やヒントをくれる大切な人と
時間を共にできたことは一生の財産になりました。

 

大学時代

 

吹奏楽団に所属し、学生指揮もやりました。
ただ他のサークルも掛け持ちしていて、コミット度は低め。。

学生指揮の分際で合宿準備にかける時間もそこそこで、
指揮者の先生に叱られたりとかもしていました。

高校時代以上に、自分の音楽に対する向き合い方に悩んだ時期だったかも。
結果、向き合いきれずに中途半端なことをしてしまっていたな。


それでも見捨てないでいてくれた先生方や先輩、
ついてきてくれた仲間や後輩たちには本当に頭が上がりません。

 

引退後、
吹奏楽団OBの先輩たちが立ち上げた不思議なバンドに加入することになります。
その名も「天久保オールスターズバンド」。

つくば市内の大学近隣の地名を冠するこのバンドは、なんとメンバー100名超え。


メーリングリストに登録していて、そこから
「○月○日○時に、つくば駅前広場で演奏です、出れる人!」
みたいなメールが流れてくるのです。


メンバーは行ける日に参加表明し、
オンライン上で共有されている楽譜を自分でダウンロードし
練習に参加し(当日軽く練習して本番。ってこともある)、
その日揃ったメンバーで曲決め・ソロ回しを決め
ステージをやってのけるという新感覚スタイルでした。

 

大学時代に一番学んだことは、「打ち上がるまでが演奏です」ということです。笑

 

とにかく、楽しかったな。
なんだかんだ音楽、曲がりなりにも続けていてよかったって思えました。

音楽は「音を楽しむ」って書くんだから。楽しまないと損だよね。
でもその「楽しむ」っていうことの基準が人それぞれ違うから
またそれが難しくもあり、面白くもあり。

この世界にほんの少しつま先を突っ込んでしまったがゆえに、
この答えなき問いとのおつきあいは
きっと一生続いていくことになりそうです。

 

そして、今

 

社会人になってからも、1年に1回とか驚異的に細々としたペースでですが
天久保オールスターズバンド(略してあまスタ)のステージに
ちょこっとのらせてもらったり、

吹奏楽あるある話で初対面の人とも仲良くなることができたりしていて、
引き続き音楽の恩恵にあずかっている日々。

 

わたしにとって音楽は「都合の良い恋人」のようなものだなぁ
なんて最近は思ってます。ああ、なんか怒られそう。

 

いつどんな時でも彼らはわたしの手の届くところにいてくれて
生活に彩りを。一期一会の出会いに、笑顔を。あたえてくれるんだよね。

 

至高を目指して磨き上げられた最高の演奏を心して楽しむもよし、
グダグダでも、下手くそでも、とにかく楽しめればよし。
それらを媒介にして、いろんな出会いやきっかけを運んできてくれる、音楽。

 

自分でその距離の取り方、関わり方を選ぶことができるって思ったとたん、
楽しみ方の幅がグンと広がったように感じている。

いまでも正直「あのとき専門学校に進んでいたら…」なんて
特に(のだめカンタービレ観たときとか。あと最近は蜜蜂と遠雷。面白かった)思ったりすることもある。

100%正当化するつもりはないけど、でもいまみたいな
こういう白黒はっきりつかないような関わり方もあっていいのかなって。

 

都留に帰ってきて1年半。
この度、地元の有志メンバーで
コンクールに出ない、楽しむ専門のブラスバンド
「つるブラスぷらす」を立ち上げました。

あまスタの事例をかーなーり参考にさせてもらってます。

 

「楽器がない」「ブランクが」とかいろいろ障壁はあるけど
「あ、久しぶりに生音に触れたいな」って思った時に
いつでもステージに乗れる環境があるっていうのはとても豊かなこと。

 

今日も地元の納涼祭でちょこっと演奏してきます。
打ち上がるまでが、演奏です。笑

 

さあ、楽しい音楽の時間です^^